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Gazer(前編) - 氷雨 2006/11/27(Mon) 15:09 No.34

Gazer(前編) 投稿者:氷雨 投稿日:2006/11/27(Mon) 15:09 No.34
地を駆け、天を舞う風に鮮やかな緑が身を揺らし互いに囁きあう。
 雲ひとつない晴天から降り注ぐ陽の光は青々と茂った木の葉に遮られ、わずかに漏れた光は
風に揺れる枝に合わせて大地で踊る。
 ──ただ一本、緑の丘に聳え立つ大木の下で、甲高い鋼の音が鳴り響く。

 キィンッ ギンッ

「踏み込みが浅い! 相手の反撃を恐れるな!」
「──はい!」
 手にした刃を重ねあうのは、二人の男。
 一人は、落ち着いた物腰にどこか威厳を漂わせた、黒髪の男。
 そして一人は、まだ青年と呼ぶには幼い青い髪の小柄な少年。
 男の叱咤を受けた少年はその言葉に従い、先程とは違った気後れのない太刀筋を見せた。
「……よし! 今日はここまでだ」
「はい! ありがとうございました、師匠!」
 少年の剣を受けていた男は、ややあって剣を下げて一つ頷く。
 彼の剣を受けていた時の厳しい表情から一転、穏やかに微笑んだ師の言葉に少年は緊張を
解くと元気よく頭を下げた。
「疲れたろう。しばらく休んでから聖へレンズに戻るとしよう」
 男は言いながら剣を収めて、その場に座り込んだ。そして、枝にかけておいた荷物袋の中から
水筒を持ち出し、少年に差し出す。
「あ、ありがとうございます」
 少年も剣を収めると水筒を受け取り、蓋を開けながら自分も木に背を預けるように座り込む。
 訓練の後で汗まみれになった服の前を掴んでぱたぱたと扇ぎながら、水筒の水でノドを潤す。
 水を飲むのと同時に上を見上げると、木漏れ日が明るすぎる星空のようにきらきらと輝いていた。
「……立派な木だろう? なんでも、樹齢は千年を軽く超えるんだそうだ」
 彼が木の高さに閉口していたのを察したか、男は自らも頭上を覆う緑を見上げながら言う。
「千──っ!?」
 驚愕に危うくむせそうになりながらも、少年は踊り続ける木漏れ日を目で追った。
 高さは、大抵の建造物を軽く凌駕してしまいそうなほど。幹の太さといったら、大人が数人
がかりで手を繋げばやっと囲める、といったものだ。
 そして何より、その土台に相応しいともいえる生い茂った緑。
 正しく、その樹齢に適った威容といえるだろう。
「それだけ長生きなのに、こんなに緑が生い茂っているなんて……なんか、不思議ですね」
「ああ、確かにな。この木に関しては色々と逸話があるぐらいだ。
 神が宿る樹──『神宿りの樹』、とな」
「神が宿る、樹……」
 確かに──そう言われて納得できるようなものが、この大樹にはある。
 幹に預けた背から感じる木の息吹は、こちらまで元気にしてくれるような気がするから。
 ……あくまで「気」の問題かもしれないが……。
「まあ、それが嘘であれ真実であれ。この木がこの場所で『時』を見てきたことに変わりない」
「……『時』を、見る?」
 ぽつりと呟いた師に、少年はその言葉の意を掴みかねて首を傾げた。
 「時」は目に見えるものではない。そう、思ったからだ。
「フッ……お前も、いずれ分かる時が来る。──さあ、そろそろ戻るとしよう。行くぞ」
「あ──はい!」
 立ち上がって声をかける男に、少年も慌てて水筒の蓋を閉めて荷物袋に押し込んだ。
 木陰から出た途端、涼風に追いやられていた初夏の暑さが一気に二人を押し包む。
 再び噴き出す汗に辟易しつつ、師の後を追う少年はふと背後の大木を振り返った。
 丘の上に、ただ一本だけ立ちつくす「神宿りの樹」。
 ──「彼」は、これからもここで独り、「時」を見据えていくのだろうか。


「今回の任務も楽勝だったっスね、ヴェイクさん!」
「ああ……そうだな」
 陽気な調子で話しかける男に、微苦笑しながらもう一人の男は頷いた。
 商業都市イージスから聖へレンズへと続く街道を行きながら言葉を交わすのは、華奢にも
見える体つきには不釣合いな斧を背に担いだ金髪の男と、立派な漆黒の鎧と装飾の施された剣を
身につけた黒髪の男だ。
「……もう、ラーチェルったら調子がいいんだから……」
 一方、その二人の後ろから少女の可憐さと剣士としての凛々しさを兼ね添えた女性が、呆れた
ような声を上げる。彼女もまた、見事な槍を携えていたが、不思議と違和感はない。
「なんだよ、ミント。あれしきの魔獣、俺達の敵じゃなかったろ?」
「どっちかというと──『ヴェイクの』敵じゃなかった、って言うべきだと思うわね」
 振り返りながら問いかける男──ラーチェルにミントは、しばし考えた末そう答えた。
 その口ぶりにラーチェルはぐっと言葉を詰まらせ、当のヴェイクは苦笑を濃くする。
「そんなことはないさ。ラーチェルとミントの的確な援護があったから、仕留められたんだ。
 二人のおかげで俺も背後を気にせずに戦えるんだから、幾ら感謝しても足りないぐらいさ」
 柔らかく微笑んで言うヴェイクに、ラーチェルもミントも一瞬言葉を失うが、すぐに照れくさ
そうな笑みを浮かべた。
「俺も、ヴェイクさんと一緒に戦えることを、誇りに思ってるっスよ」
「私もよ。ヴェイクは、女の私にも平等に接してくれる──戦場でも背を預けてくれるもの」
 本来、聖へレンズ王国将軍たるヴェイクとラーチェル、ミントの二人とは上に立つ者と部下と
いう間柄であったが、本人達は親友同士といったような感覚で行動をともにしていた。
 それゆえに、兵士の中でも彼らを理想の隊として憧れる者も少なくはない。
 彼らの「仲間」としての絆が、より彼らの隊の結束を固いものにしていることを、皆知って
いるからだ。
「……ありがとう、二人とも。
 ──さあ、聖へレンズまであと少しだ。戻ったら、久々の休日にありつけるぞ?」
 視界の端に、聖ヘレンズ城と「神宿りの樹」と呼ばれる大樹が見えてきたことに気付き、
ヴェイクは二人にそう告げる。
「あ、そうっスね! くぅ〜っ、やっとのんびり出来るっスよ」
「そうね。私も、久しぶりにイージスで買い物でもしよっと」
 ぐっと伸びをして感慨深げに言うラーチェルに、ミントも久方の休日の過ごし方に思いを
巡らせている。なにしろ、南クロス大陸まで遠征に出ていたために約二週間ぶりの休みだ。
「ホント、女って買い物とか好きだよな〜。よく疲れないな」
「そう? お店で色々な物を見てると、私は疲れなんて忘れちゃうけどなぁ」
 そう言って笑う姿は、剣士ではなく女性としてのそれだ。
「……あ、折角だからどっちか一緒に買い物に付き合ってくれると嬉しいんだけどな〜?
 勿論、荷物持ちとして♪」
『……え?』
 小首をかしげて上目遣いに二人を見るミントに、ヴェイクとラーチェルは声をはもらせる。
「……え〜っと……ちょっと俺は用事が……」
「お、俺もいい加減休養取らないともうぶっ倒れそうだし……」
 顔を見合わせつつ、空々しく言い逃れようとする男二人をミントは半眼で睨みつけた。
「ヴェイク……南クロスの森で案の定迷った時、正しい道を見つけたのは誰だったかしらね?」
「……うっ……」
 それこそ上官を上官とも思っていない口調で問うミントに、ヴェイクは珍しくまともに怯む。
 ──どんな魔物、魔獣を前にしても怯む事を知らないあの名高きヴェイク将軍が、である。
「ラーチェル……遠征の間、ず〜っとご飯を作ってあげていたのは誰だったかしら?」
「……え、えっと……」
 これには、ラーチェルもヴェイクもぐうの音も出ない。
「まったく、二人とも戦い以外のこととなるとからっきしなんだから。
 たまには、付き合ってくれてもバチは当たらないんじゃない?」
「わ、分かったよ。付き合うって……」
 さすがに音を上げたラーチェルが疲れた様子で呻くと、
「そう? ありがとう♪」
 ミントはにっこりと笑って答えた。
 ──さすがは軍でも一、二を争う精鋭隊の紅一点ということらしい。
「……と、とにかく数日は休日が取れるよう上に掛け合ってみるよ」
 内心、ラーチェルに申し訳ない気持ちになりながら、ヴェイクは苦笑する。
 ──そして同時に、いつまでもこの「友」と一緒にいれたらいいと、改めて思う。
 現在、その若さにして聖ヘレンズにおいてジェラルド=ヴァンスとともに「二大将軍」との
呼び声高いヴェイクに対して、この二人のように忌憚なく接してくれる存在は、正直彼としても
有り難かった。
 確かに、剣士として戦場に立つ者として死の影は完全には拭えないけれど。
 将軍の座を継いだ時に決意したあの思いに偽りはない。
(俺達が常に死と隣り合わせにいるというなら……俺は、いつまでもその死の影を払い続ける)
 そのために自分は、強くなろうと決めたのだから──。


 厳しい残暑の炎天下にさらされながら。
 長きに渡って名もなき丘に佇む大樹は今、二つの物影を懐に抱いていた。
「……大丈夫か、テイル」
 一つは、長く青い髪をうなじで束ねた青年。感情の薄い表情は一見、整った顔立ちもあいまって
どこか突き放すような冷めた印象を与える。
 ──が、その落ち着いた声とグレイの瞳に宿る優しさに気付けたなら、すぐにそれは思い違いだと
分かるだろう。
「ごめんデシ、ルイしゃん……」
 そしてもう一つは、クリーム色の毛並みを持つ一匹の仔猫。──否、仔猫の聖魔だ。
 テイルと呼ばれた聖魔は木陰に横たわり、どこかぐったりしていた。
 恐らく、この日差しの暑さにやられたのだろう。元々、聖魔は環境の変化に敏感な生き物だ。
「謝る必要などない。取り敢えず、しばらくここで休んでいこう。ここなら、涼めそうだしな」
 ルイという男は自らもテイルの横に腰を下ろし、優しくその頭を撫でる。
 ──思えば、テイルは聖魔の身にはあまりにも過酷ともいえる旅の日々を送っている。
 あの、父の仇である男を追うために、それこそ世界中を回っている彼に付き添っているのだから、
テイルが仔猫であることも考えれば感嘆すべきことだ。
 そう考えると、自分がどれだけこの聖魔に無理をさせていたか、改めて思い知らされる。
「うん……ここなら涼しいから、大丈夫デシ。それに、おっきな木の下にいると安心するデシ」
「……そうか。確かに、元々は森に暮らしていたんだものな。それに──」
 頭上を見上げても、青々と茂った枝葉が陽光を遮り眩しさを感じない。
「この大樹……『神宿りの樹』は、色々と逸話がある樹らしい」
「逸話?」
 わずかに顔を上げてオウム返しに問うテイルに、ルイは小さく頷いた。
「ああ。俺も然程詳しくはないが……創世から生き続けているとか、精霊が宿っているとか……」
「ソウセイって何デシ?」
「簡単に言えば、世界が創られた時──ということだ。
 まあ、それは大げさにしても長寿なのは確かなのだし……精霊が宿っているかどうかにしては、
俺には分からないな。精霊術士なら別かもしれないが」
 彼が聞いた話では、この大樹は広葉樹にして一年を通して緑が茂っているという。その威容から
樹齢は千年を超えると言われているが、今なお春になると新緑が芽吹くというのも不思議な話だ。
「『神宿りの樹』……いつ、誰がこう呼んだかも知れない……だが、誰しもがこの樹をそう呼ぶ」
「ふ〜ん……不思議な木デシね……」
 ルイを真似るように、テイルも横たえた身を持ち上げて大樹の緑を振り仰ぐ。
 もしかしたら、とルイは小さな相棒を見て思った。
 もしかしたら──聖魔であるテイルは、その深い蒼の瞳で彼では捕らえられない「何か」をも、
この樹に見ているかもしれない。
 しばらく、二人とも黙ったまま大樹を見上げていた。さわさわと揺れる葉が生み出す涼風が、
とても心地よい。
「──ルイしゃん、ボクならもう大丈夫デシ。いつでも出発できるデシよ」
 先に切り出したのは、意外にもテイルの方だった。
 ルイは視線を相棒の方に戻すと、わずかに眉根をしかめてみせる。
 ──無理をしてないか。そんな言葉が、口を突いて出そうになる。だが、彼はそれを押し留めた。
 そもそも、この旅に連れ回すこと自体が、テイルに無理をさせていることに他ならないのだから。
 「過酷な旅になる」──そう、最初に言い出したのは自分だ。
 だが、それでもテイルは自分についていくと言い切った。
 たまに故郷の聖魔の森を懐かしんだり、弱音を吐くこともあることはある。
 だが、それでもテイルは本気で「旅を辞めたい」と言ったことは、一度もないのだ。
 彼はふっと微笑むと、その場に立ち上がりながら言った。
「……よし。行くぞ、テイル」
「行くデシ!」
 彼の言葉に、テイルは元気よく答える。
 今は、己の道を行くことがこのあまりに小さな相棒の大きな決意に対する答えだと──。
 ルイは、そう思った。


 吹き付けるは、凍てつくような冬の息吹。
 今にも雪が降り出しそうな厚い雲に覆われた空の下にありながら、深緑の葉を茂らせている
大樹のさらに下──たった一人で立ち尽くす男が居た。
 すらりとした長身に、腰の近くまで伸ばした銀色の髪が美しい。端正な容貌でありながら、
表情なく立ち尽くす様はどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 男は防具の類を身につけておらず、ただ一振りの大剣を腰から下げていた。
「…………」
 特に何をするでもなく、大樹の幹を前に瞑想にふけるかのように長らく無言で瞼を落として
いた男は、ようやくゆっくりと目を開く。
 閉ざされていた瞳から、青い輝きがこぼれた。澄み渡った水面のように静かで、かつ深みを
見せる双眸は、もし見る者が居たなら確実に目を奪われていたろう。
 だが、あいにくとこの場にいるのは彼と大樹だけだ。
 もっとも──それゆえに、彼も今この場所に訪れているのだが。
「……師匠……」
 ぽつりと呟かれた言葉に、感情の色は窺えない。それは、その表情にしても同様だった。
「我が国最強と謳われた貴方を、こうも早く弔う事になろうとは……思ってもいませんでした」
 淡々と言葉を続ける彼の視線は、大樹の根元に置かれた白い花束に向けられる。
 本来なら、聖へレンズの墓地にある墓前にこの花を手向けるべきだったのかもしれない。
 だが、彼はあえて師の墓前でも命を落としたという闇の洞窟でもなく、この場所を餞の場に
選んだ。
「……『戦場において──我々は、一つの駒に過ぎない。戦場に姿を見せるのことのない王に
忠誠を誓い、命の限り戦い続ける駒だ。歴戦の覇者でさえも、弓兵のただ一本の矢で命を
落とすこともある……それが、剣士として国に仕え──死地に立つということ』……」
 かつて、師の語ったその言葉は、そのときの自分に酷く衝撃を与えたのを覚えている。
 あの時から、彼も幾多の戦場を──死地を駆けてきた。その中で、仲間の死に逝くさまも幾度
となく目にしてきている。仲間を失い、敵の屍を踏み、その先に何があるというのか──そう、
苦悩した日も数知れない。
 ──だが、それでも。それでも彼は、この剣を手に今迄生きてきた。戦い続けてきた。
 無論、途中で戦いから逃れることも出来たろう。
 剣を捨て、穏やかな生活の日々を選ぶことも出来たろう。
 だが、彼はそれをよしとしなかった。たとえ、さらに多くの血を見ることになろうとも。
 常に背中越しに感じる死神の気配が拭えぬ日々だろうとも。
 王への忠誠を胸に、死地に身を置き戦い続ける。それが──遺された者としての、責任だと
彼は固く信じて疑わなかった。
「……たとえ自分が、駒の一つでしかなかったとしても。そう遠くない日に死を迎えることに
なるかもしれないとしても。
 師よ……。私は、この道を行きます。この剣に……聖剣ドラゴンズ・アイに誓って」
 もう、迷わない。その為に──自分はこの場所に来たのだから。
 師への弔いと同時に、己の迷いを、余計な感情を葬り去るために。
 間違っているかもしれない。が、これが彼自身の信じる道だ。

 ザァッ──

 冷たい北風が梢を揺らし、木の葉を舞い散らせる。
 はらはらと頭上から舞い落ちる葉には見向きもせず、彼は腰から下げた剣の柄に手をかけた。
 そして──白銀の煌きが走った刹那、葉の一枚がピッという小さな音とともに綺麗に二つに
分かたれる。音もなく翔けた刃は、次の瞬間には何事もなかったかのように鞘に納まっていた。
 ……その刃が切り捨てたのは木の葉だけではなく、彼の言った迷いだったのかもしれない。

 ──この数日後。シェイド=ハーベルトは、亡きジェラルド=ヴァンスに代わり将軍の座を
継ぐことになる。


 吸い込まれるような蒼穹が、どこまでも続いている。
 その空を振り仰ぎながら、彼女は目を細めた。爽やかな風が、彼女の腰辺りまで伸ばした金色の
髪を光の糸のようにさらさらとなびかせている。
 数日前までは夏の熱気を運んでいた風も、既に秋の涼風と化している。
 ──夏が終わり、また秋が来て。
(もう……一年が経ってしまった……)
 あの時から一年。あっという間に月日は流れてしまった。
 あの背が──彼女の前から消え去ってしまった、あの日から。
『リナも、使いこなせるようにならないとな』
 そう優しく微笑んでいたあの姿が、脳裏から離れない。
「私は……ずっと、あなたに憧れていた。将軍という地位に囚われず、己の意志を貫く姿に。
 女である私を一人の剣士として認めてくれた、あなたに……」
 厳しい訓練や女だと軽視する周りの目にも耐え、将軍の座を手にしたその時も、あの人は本当に
心から祝福してくれた。
『おめでとう。よく、頑張ったな。同じ将軍として……よろしく頼む』
 ……だけど。突然に、あの人は去ってしまった。将軍の座を返上し、この国を離れていった。
 ──そのとき自分は、手にした場所が崩れ去っていく錯覚すら覚えた。
 引き止めたかった。だが、引き止められなかった。引き止めるわけには、いかなかった。
 あの人の意志の強さを、知っていたから。
 悲しみを浮かべるでもなく、嗚咽を漏らすわけでもなく──二つ並んだ墓標の前にいつまでも
一人立ち尽くしていたあの人の姿を、見てしまったから。
 あの背が──なぜか、どこか儚く見えたから。
 あの後、あの人が故郷のライドネルに戻ったという話も聞いた。
 だが、自分はそこに足を運ぶまいと心に誓った。
 自分が行った時、あの人はまた以前のように笑ってくれるかもしれない。
 ──でも、もしかしたら。悲しい想いをさせるかもしれない。
 あの二人を目の前で失った事を、思い出させてしまうかもしれない。
 ……これは、再びあの人に逢うことを怖がっている自分に対する、言い訳なのかもしれない。
 それでも、自分はあの人に逢いには行けなかった。
 そして──時は流れて。
 あの時から一年。あっという間に月日は流れてしまった。
 あの背が──彼女の前から消え去ってしまった、あの日から。
「──リナ将軍〜!!」
 背後からの呼び声に、彼女は振り返る。そして、遠くからこちらに向かって元気に手を振っている
少女達を視界に納めた。
 まだ幼いあの少女達はかつて自分があの人に対して抱いていたように、「憧れ」の眼差しを自分に
向けてくれている。
 ──応えなくては。自分も、あの人のように。あの人が、自分にしてくれたように。
「……ヴェイク。私も、あなたのような将軍になれますか……?」
 問いに答えてくれる姿は、今自分の前にはないけれど。
 ──彼女が想い慕ったあの人も、この空を見ているだろうか。


「おっ、見えてきたぜ『神宿りの樹』が!」
「聖へレンズももうすぐダニね。今日こそは暖かいベッドで寝たいダニ!」
 眩い陽光の下で、やり取りをしているのは銀髪の男と一匹の猫──もとい、聖魔。
 魔獣討伐の任務を終え、ようやく見えてきた馴染みの風景に互いにほっとしているようだ。
「そ、そうそう」
 なぜか目を逸らしながら同意して、男はなおも聖ヘレンズ城下町へと続く道を進む。
 視界の端に移っていた一本の木が、近付いていくにつれてその立派な姿をさらす。
「しっかし、相変わらずでっけえ木だよなあ〜。樹齢千年以上ってのは眉唾ものだとしても、
大したもんだぜぇ」
「あ〜、ユウしゃん信じてないダニね。
 この『神宿りの樹』は、ほんとにすっごい長生きなんダニよ」
 ユウという男の頭の上に陣取った聖魔──ルカは、非難がましい言葉を向けた。
 だが、それでもユウは納得が行かなさそうな顔だ。
「そりゃ分かるけどよぉ……いくらなんでも千年は言いすぎだろ。
 千年前なんつったら、俺のジイさんのジイさんのジイさんのそのまたジイさんの──」
「でも、聖魔の森でも樹齢何百年っていう樹があったダニよ。千年以上の樹があっても、
おかしくないダニ」
「ん〜……そんなもんかねぇ……」
(確かに、この樹の大きさからして生半な樹齢じゃあなさそうだけどな……)
 もはや視界いっぱいに広がっている大樹を見上げながら、その横を通り過ぎていく。
 鮮やかに広がる緑のヴェールが影を作り、熱気を散らす涼風が吹き付けてくる。
「ま、一種のレアものの樹ってことかね。なんで『神宿り』って呼ばれてるのか知らねえけど」
「それはユウしゃんが知ろうとしないからダニよ」
「うっせい」
 鋭く突っ込んだ相棒の頭をぺしっと軽く叩いてから、確かにそのとおりかもと内心頷く。
 一方、叩かれたルカの方は不満げに頬を膨らませてから、ふとあることを思い出した。
「──あ、そうだ。レアもので思い出したダニ。
 ユウしゃん、ボクが見つけたワイルドストロベリーの花、ちゃんとあるダニか?」
 頭上からひょこっと下のユウの顔を覗き込みながら問うルカに、ユウはぎくりと肩を震わせた。
 ──世話になった村の少女にあげたあの幻の花は、この森でルカで見つけたものをユウが
荷物袋に入れてやっていたものだったのだ。
「あ〜……あれな。その……世話してくれたリリィにあげた」
「ええっ!? 酷いダニ! あれはボクが見つけたものダニよ!」
「し、仕方ないだろ! 手当てしてもらった上に、料理までごちそうになって寝床まで貸して
くれたとなりゃ、手ぶら……じゃ……」
(って、しまったぁ〜っ!!)
 弁解するつもりが、逆につい勢いで口を滑らしてしまい、尻すぼみになっていくユウの言葉に
ルカはぽかんとした顔になった。
 ──が、俯くとその小さな体をぷるぷる震わせる。勿論、その震えは下のユウにも伝わった。
「ボクが森で必死にユウしゃん探してる間に、ユウしゃんはおいしい料理を食べて、暖かい
ベッドでぬくぬく寝てたダニね……?」
「い、いやちょっと待てルカ。別にお前をほっといて良い思いしてたわけじゃないぜぇ?」
 必死で言い訳するも、ルカの怒りは収まりそうにない。
「……そういうことなら、ボクにも考えがあるダニ」
「な、なんだよ」
 怖じ気づくユウを尻目に、ルカは高らかにこう告げる。
「ワイルドストロベリーをそのリリィしゃんに渡しちゃったこと、カインしゃんに話すダニ!」
「…………」
 これにはユウも閉口した。
 ワイルドストロベリーといえば極めて希少で、「幻」同然の植物として知られている。
 当然、そういったものの好きな種類の人間からすれば、垂涎の一品だ。
 そして彼の同僚たる青髪の、人生の目標は「世界一のコレクターと、ついでに世界一の
剣士」と言い切ってしまうあの男は、その言葉どおり「その種類の人間」な訳で……。
 つい今朝方、リリィに渡した際に「言わなきゃバレない」と彼自身は言った。
 ──だが、もし。
 もし──そういったことにはリミッターが外れそうな──あの男にバレでもしたら……?
「…………る、ルカぁぁっ!?」
「さっ、さっさと聖ヘレンズ城に戻ってカインしゃんに報告ダニ♪」
「おいこら待て! いや、むしろ待ってクダサイ! まだ死にたくねえ〜っ!!」
 すたっとユウの頭から降り、一転してすこぶる嬉しそうに先を行くルカに、きっかり十秒間
茫然自失に陥っていたユウは我に返り、今迄に見たことのない勢いでルカを追いかける。
 ──その背後で、「神宿りの樹」が二人のやり取りを笑うように木の葉を囁かせていた。


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