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タイトル遠きまだ見ぬ空の歌(前編)
投稿日: 2006/11/27(Mon) 15:08
投稿者氷雨

日も明けて間もない、まだ冷たい朝の大気の中で。
 肌寒さに身を震わせながら、一人の少女が小屋の中から姿を現した。
「……ん~ん、今日もいいお天気!」
 胸いっぱいに澄み切った空気を吸い込み、深呼吸を一つ。
 空と同じ晴れやかな気分で、彼女は大きく伸びをした。
「おはよう、リリィちゃん。また、薬草摘みかい?」
 彼女──リリィはその声の主の方を向くと、にっこりと笑った。
「おはようございます、シーナさん。
 ──昨日、ラウルおじさんが森でケガされたでしょう?
 その時、止血の薬草が大分減っていたのでそろそろ摘んでこようかと思って」
 そう言うと、右腕に持つバスケットをちょっと掲げてみせる。
 彼女のその仕草に、シーナは笑ったようだった。
「そうかい。リリィちゃんも大変だね。
 ……でも、気をつけるんだよ。
 最近、この辺りの森にも魔物が出るって噂があるからね。
 森の奥まで行ってはいけないよ」
 言葉の後半でシーナは陽気な口調を一変させ、神妙な口ぶりでリリィに言い聞かせる。
 ──確かに以前はこの近くにある森に魔物の姿などありはしなかった。
 だが、ここ最近になって魔物の姿が目撃されているらしい。
 もっとも、魔物が目撃されたのは森の最深奥の辺りでの話。
 見かけたという者も一人、二人といったものなのだが……。
「大丈夫です。その薬草は森の入り口辺りにいっぱい生えていますし……。
 私には、心強い味方がいますから」
 それでも普通の少女にはあまりに恐ろしい存在であろう魔物の話を、
しかしリリィは気丈に笑って言い返した。
「ははっ、そうだったね。でも、用心に越したことはないよ。気をつけて行っておいで」
「はい。じゃあ、行ってきます! ──行こう、イーサ!」
 彼女の呼びかけに、背後の小屋の中からバサリという大きな羽ばたきの音が応える。
 それを確認すると、彼女はいつものように近くの森へと走り出した。


 先程まで冷え切っていた大気も、幾分か陽の光によって暖かくなってきた頃。
 リリィは鬱蒼と生い茂る森を前にして、今日はどの薬草を摘んでいこうか考えていた。
 一口に薬草、といってもケガの消毒、止血、化膿止めなどに使うものから、
解熱、食あたりなどに使うものまで色々な種類がある。
「えっと、ルルド草と……カームの実も取っていこうかな……」
 昨日家で確認した薬草の数を思い出しながら、何種類か今日摘んでいく薬草を決める。
 そして、リリィは慣れた様子で森の中へと分け入っていった。
 既に、どこにどの薬草が群生しているかはよく心得ており、
手際よく薬草や薬になる木の実をバスケットに放り込む。
 さわさわと風に揺れる木々の声に耳を傾けながら、リリィが一通りの薬草を
摘み終えた頃には陽も大分昇り、軽く汗ばむほどに大気も温まっていた。
「よしっと。こんなところかな」
 左腕にかけるバスケットの十分な重みに、彼女は満足げに頷くとその場に立ち上がる。
「終わったよ、イーサ。帰ろう?」
 ぽんぽんと服をはたきながら、姿は見えずともすぐ側にいるであろう連れに声をかける。
 ──しかし、しばらくしても彼女の耳にはその鳴き声も、羽ばたきすらも聞こえてこない。
「……あれ? イーサ?」
 いつもなら、彼女に呼びかけにイーサは即座に鳴き声か羽ばたきかをもって応えていた。
 ちょうど、先程のように。
 しかし、彼女の呼びかけにいつもの音は返ってこず、
ただ木々の葉音だけが聞こえてくる。
 リリィはどうしたのかな、とちょっと首を傾げてから、今度はもう少し大きな声で呼ぼうと──

 ……キー……

 大きく息を吸い込んだ次の瞬間、イーサの鳴き声が聞こえてきた。
 方角からして、もっと森の奥──だが、そんなに距離は離れていない。
「もう、勝手に森の中に入って……」
 ほっとした反面、多少腹を立てながらリリィはさらに森の奥へと踏み込んでいく。
 段々、鳴き声に近づいていくと、バサバサという羽音とともに視界の端に忙しなく動く
白いものを見つけることが出来た。
「こら、イーサ! 勝手に森の中に入っちゃ──」
 そこまで言いかけ、ふとリリィは口を閉ざす。何か、違和感を感じた。
(……なに……? この、におい……)
 軽い怒りと安堵の気持ちを追いやり、リリィの中でむくむくと不安が首をもたげてくる。
 木々の間を通る風が届けてくるのは、土と花々と葉のにおい。
 それと──これは……血?
「っ!? イーサ!?」
 さっと血の気が引いていくのを感じながら、リリィはイーサの所に駆け寄っていく。
 イーサがケガをしたのかもしれない。でも、どうして──

 ガツッ!

「痛っ!」
 イーサの羽に触れたと思った次の瞬間、何かにつまずいてリリィは危うく転びそうになった。
 足元を見下ろしてみると、──草花の緑に混じって見分けるのに苦労したが──緑色の光沢を
放つ、大きな影がそこに横たわっている。その何かの所々に、ぼんやりと赤いものも見えた。
(なん、だろう……)
 怖々とリリィはその場にしゃがみこみ、じっと目を凝らしながら自分がつまずいた何かに
手を伸ばしてみる。
 最初に手に触れたのは──柔らかい感触。そして、ぬるっとした生暖かいもの。
 そこで、リリィは一瞬にしてそれが何なのかを悟った。
(──人! 人が倒れてるんだ!)
 イーサは、きっとこれを自分に伝えようとしたのだ。だから……
「イーサ! 人を呼んできて! 私より、あなたの方が早いわ!」
 彼女の指示に、イーサは力強くはばたくとあっという間に羽音は遠く聞こえなくなった。
(この人……すごい、ケガしてる……)
 凄まじい血のにおいに顔をしかめながらも、リリィはバスケットの中に手を突っ込んだ。
(ここじゃあ、応急処置程度しか出来ないけど……何もしないよりはましだわ)
 意を決すると、リリィは手探りでその人物の止血を始める。
 ──背後から人々の足音が聞こえてきたのは、それからしばらくしてのことだった。


 柔らかい、白い光。
 微かに香る、草花のにおい。
 そして、自分を包み込む暖かいもの。
 ──最初に、彼の意識に入ってきたのはそれらだった。
「う……」
 ぴくり、とわずかに眉をしかめてから、ゆっくりとその重いまぶたを押し上げていく。
 光に慣れない瞳に視界が白一色になった後、徐々に色々なものが視界に飛び込んできた。
 木で作られた天井と、火の入っていないランプ(まだ外が明るいのだから当たり前だ)。
 首を横に向けてみると、やはり木製のテーブルとその向こうに窓が見える。
 窓の外はまるで穏やかな春の陽気、新緑がさやかな風に揺れていた。
 そして自分自身はというと──清潔そうな白いベッドで、鎧を外されて布団に包まっていた。
「……う~ん……」
 取り敢えず今、自分はどういう状況におかれているのだろう、と考える。
 今現在分かることといえば。体のあちこちがとてつもなく痛いということぐらいだ。
「よっ……っと」
 ひとまず寝たままでいるのもなんだと思い、彼は満身創痍の体に鞭打って上半身を
起こし、改めて自分の体を見下ろした。
 自分の血と土で汚れた服。
 そして腕やら足やらにベッド同様に真っ白な包帯が巻かれており、骨折してしまったらしい
左腕は添え木でしっかりと固定されていた。
 左腕が鈍痛とともに熱を持っているため、全身がやや火照っている。
 それでも出血や各所の痛みは治まりつつあるのが分かり、彼は改めて胸をなでおろした。
 ケガ自体は、骨折した左腕を除けば深い傷もなく打撲がほとんどで大したことはないようだ。
(あの時は、マジで死ぬかと思ったんだけどな……でも、いったい誰が手当てを……?)
 きょろきょろと部屋の中を見回すが、人影は見当たらない。
 代わりに奥へと続く扉と外への扉を見つけた彼は、そこから外に出てみることにした。
 幸い、足は骨折しておらず痛みはするが歩くのに大して支障はない。
 あえて言うとするなら、切った額からの出血で多少ふらふらするということか。

 ガチャッ

 ドアを開けた途端、緑と花の香りを運ぶ風が男の顔をなでる。
 燦然と降り注ぐ陽の光に目を細めながら、彼は眼前に広がるのどかな村の風景に安堵した。
「おや、気がついたかい?」
 横手からの声に振り向くと、そこにはふくよかな体つきの年配の女性が洗濯籠を抱えて
立っていた。
「あ、え~っと……おばちゃんが、俺を助けてくれたのか?」
「いんや、違うよ。あんたを見つけて手当てしたのは、リリィちゃんって子さ。
 あんた、名前はなんていうんだい?」
「ユウ、だ。……そのリリィって子は、今どこにいるんだ?」
「そうだねえ……多分、今頃だと……」
 彼女はしばし考え込んでから、ある方向を指差す。
「こっちの道を行った先に、ちょっとした野原があってね。
 多分、そこで子供達と遊んでるんじゃないかい」
「分かった。ありがとな、おばちゃん!」
 礼を言うと、ユウはそちらの方へ歩き出した。
 その後姿を見送りながら、女性は感心したように、
「は~……あんだけのケガしてるのに、丈夫な子だこと」
 勿論、その呟きはすでに遠く離れていたユウには聞こえるはずもなかった。


 野原への道すがら、ユウは村の様子を見て回った。
 建っている小屋や家屋の数から察するに、せいぜい二十人前後の村なのだろう。
 所々に、小さな畑や家畜の姿が見受けられる。
(あの森は地図に載ってたけど、この村のことは全然描かれてなかったよな……。
 これだけ小規模な集落なら、無理ないかもしれねえけど……)
 すぐ左手に見える森はともかく、この村の存在は調査隊の報告でもなかった。
(ま、あんなことにならなけりゃ、俺も知らずにいただろうけど)
 そう考えると、なんとも複雑な思いになる。昨晩の苦い思い出に、溜息が漏れた。
「はあ~っ……ったく、なんでこう俺のトコに回ってくる任務ってのは──おっ」
 続いて愚痴まで漏れそうになった所で、野原が見えてきた。
 新緑と色とりどりの花が咲き誇るそこでは、数人の子供たちが思い思いに駆け回っていた。
 ユウもそちらの方に近づいていくと、子供の一人が彼に気付いた。
「あ~っ、今朝のお兄ちゃんだ~!」
 さすがは小さな村。すでに村のほとんどに彼の存在が知れ渡っているらしい。
「ケガ、大丈夫~?」
「あ、ああ。大したことねえよ。それより、リリィって子いるか?」
 まさか、こんな小さな子供たちが自分の手当てをしたわけじゃあないよな、と思いつつ、
ユウは寄ってきた黒髪の少年に尋ねる。
「リリィお姉ちゃん? リリィお姉ちゃんなら、あっちにいるよ~」
 そう言って、少年が指差した先にはやはり数人の子供と、それに混じって一人の少女がいた。
「リリィお姉ちゃ~ん!!」
 ぶんぶか手を回す少年に、彼女もこちらに気付いたらしい。
 他の子供たちと一緒にこちらへと歩いてくる。
「…………」
 近づいてくる少女を見て、ユウは絶句した。
 年の頃は、彼自身より一つ、二つ下だろうか。
 ──陽の光を反射してきらきらと輝く長い髪は、銀色というよりは白に近い。
 若草色の服の袖から伸びている細い腕は、血の気が引いているかのような真っ白な肌を
している。それでも病的なものを感じさせないのは、今も彼女に降り注いでいる陽の光に似た、
穏やかで暖かい雰囲気のせいだろうか。
 彼女は透き通るような空色の瞳でユウを見てから、白い花がほころぶような笑顔を浮かべた。
「良かった。気がつかれたんですね。お体のほうはいかがですか?」
 ぼーっと少女に見とれていたユウはしばらくしてから、少女に尋ねられたことに気付く。
「……へっ? あ、ああ。大したことねえよ。
 君が手当てしてくれたんだろ? ありがとうな、本当に助かったぜ」
「どういたしまして。
 ──あ、紹介が遅れました。私はリリィ・ティルスといいます」
「俺はユウ。まあ……旅の剣士、ってヤツさ」
 一瞬、口を滑らしそうになりユウは内心冷や汗をたらす。
 さすがに「本当のこと」を話すのは、あとあと面倒なことになりかねない。
 こちらを見ているリリィの視線を浴びながら、ユウは必死に頭を働かせる。
 同時に、自分の焦りを悟られないことを祈るばかりだった。
 ──元来、嘘を吐くことが苦手な性質なのだ。
「旅の途中であの森に迷い込んじまって、彷徨ってる間に足滑らせて崖から
落っこっちまってよ~。
 木がクッションになって死にはしなかったものの、ケガしたもんだから近くに人里が
ないか根性入れて探し回ってたんだが……気がつかない内に、あそこでぶっ倒れちまった
らしいんだよなぁ、これがまた」
「……そ、それは大変でしたね……」
 ユウの話に、リリィはさすがに呆気に取られた様子で相槌を打つ。
 ──どうやら、辛うじてごまかせたらしい。
 まあ、ある意味まったくの嘘を吐いているわけではないのだが。
「お兄ちゃん、剣士さんなの~?」
 二人の会話の隙間を縫って、子供の一人がそう言ってユウの手を引っ張った。
「お? おう、そうだぜ~。これでも聖──ゴホン──世界をまたにかける大剣士なんだぜ!」
「じゃあ、何かお話聞かせてよ! 魔獣を倒した話とかさ!」
「あ、俺も聞きたい!」
「私も~。ねえ、聞かせて!」
 一人の提案に周りの子供たちも次々に同意し、わらわらとユウのそばに近寄ってくる。
「へっ、マジかよ!? お話って言われてもなぁ……」
「ふふ、良いですね。私も聞きたいな」
 子供たちにせがまれ困り果てていたユウは、リリィのその一言にぴたりと動きを止める。
 そして、
「……ぃよっし! 特別に、俺が魔獣サイクロプス・ロードを倒した時の話をしてやるぜぇ!」
『わ~い!!』
(正確には俺とプラス一匹、だけど)
 こっそりと胸中でそう付け足すと、ユウはかつての魔獣討伐のことを話し始めたのだった。


 ユウが魔獣討伐の話を終え、子供たちが家に戻っていった頃にはすでに陽が西に沈み
かかっていた。
「すみません、ユウさん。まだ、ケガが治っていないのに子供たちの相手をしてもらって……」
「気にすんなって、俺も話をしただけだし。
 それに、リリィには助けてもらったんだからこれぐらいはしないとな?」
 小屋へ戻る道を並んで歩きながら、丁寧に頭を下げるリリィにユウはぱたぱたと手を振った。
「しっかし、あそこまで盛り上がるとは思わなかったな~」
 ユウの話はそれほど時間のかかるものではなかったのだが、話の各所で子供たちが
代わる代わる質問を投げかけていたためにここまで時間がかかってしまったのである。
 もっとも、あれだけ興味津々に聞いてもらえたのだから、話す側としても
悪い気はしなかったが。
「多分、あの子達はまだ村の外に出たことがないから、余計に興味があったんだと思います。
 ……私も、せいぜいあの森に行ったことがある程度ですし。とても面白かったですよ」
「? リリィも、別の町とかに行ったことがないのか?」
 リリィの言葉に、何気なくユウはそう聞き返す。
 すると、リリィは少し悲しげに微笑んでこう答えた。
「……私、目がほとんど見えていないんです。近づけば、ぼんやりとは見えるんですけど」
「……え?」
 一瞬、ユウはリリィの答えの意味を掴みかねた。
 ──いや、それが真実だと思えなかったのだろう。
 今迄のリリィの素振りを省みても、そんな素振りなど一つもなかった。
 違和感など──
(あ……)
 一つだけ。そういえば、最初にリリィを見た時に一つだけ引っかかっていたことがあった。
 改めて、ユウはじっとリリィを見つめる。リリィの──「透き通るような」空色の瞳を。
「……そう、だったのか。悪い」
「いえ、気にしないでください。私も言わずにいて、すみません」
 さすがにばつが悪そうに謝るユウに、リリィは左右に首を振った。
「生まれた時から目がほとんど見えなかったので、慣れているこの辺りを行き来する
くらいなら問題ないんですけど、ここ以外となると……。
 私の、勇気が足りないだけなのかもしれないって、思うんですけどね」
 いつしか、リリィの表情は自嘲気味なものへと変わっていた。
「勇気が、足りない?」
「ええ。いつも、私の見える世界には深い霧がかかっていて──本当は世界は
どこまでも広いはずなのに、まるで閉ざされた世界にいるような気になっていました。
 でも、今日世界を回っているユウさんの話を聞いて……本当は、自分で自分の知っている
『世界』に閉じこもっているだけなんじゃないかって思えて……」
「…………」
「私は、もっと世界の色々なことを知りたい。けど、そのためにはこの『世界』の外に
自分から出なきゃいけない。そう、思いました」
 夕日に髪を紅に染めながら、少女は滔々と胸のうちを語る。
 その姿は凛としていて、とても美しい。
 リリィの真摯な思いを、ユウも真剣な表情で受け止めていた。
 しばらく二人の間に沈黙が落ち──ややあって、口を開いたのはユウだった。
「……俺としては、そこまでマジメな話をしたつもりはなかったんだけどな。
 でも……俺も、故郷を出る時それなりの覚悟をしていった。俺の覚悟と、リリィの覚悟は
また違うものだろうけど、しっかりとした覚悟さえあるのなら……不可能じゃないと思うぜ」
「……はい」
 そう話した直後に、ユウは急に照れくさくなったのかわざとらしく咳払いすると、
ぱっといつもの陽気な雰囲気に変わった。
「っかあ~っ、なんかこういうしんみり系っていうかシリアス系っていうか、
俺のキャラじゃないよなぁ。はあ~、自分で調子狂っちまうぜぇ」
「ふふっ……そうですか?」
 大げさに溜息を吐くユウに、リリィも小さく笑って応じる。
 ──もう、リリィの家は目の前に近づいていた。
「そうそう、こういうのはカインのヤツの担当なんだよなあ、まったく」
「カインさん、ですか?」
 ドアの取っ手に手をかけながらなおもぼやくユウに、リリィは小首を傾げる。
「ああ。俺の知り合いなんだけどな。
 そいつときたら変にマジメだし、熱いし、融通きかないしで──」
 本人が聞いていないのをいいことに、ユウはなおもそう言い募りながらドアを開けた。
 ──次の瞬間、

 バサッ!

「──へ?」
 中から聞こえた音に、ユウがリリィに向けていた顔を正面に戻した瞬間、

 げしっ!!

「うをっ!?」
「きゃっ!?」
 部屋の中から白い何かが飛び出し、ユウに体当たりをかます。
 痛みと驚きに後ずさるユウに、リリィも悲鳴を上げる。そして、
「い、イーサ!?」
 リリィがイーサと呼んだそれは、真っ白な翼を持つ大型の鳥──鷹、のようだった。
 猛禽類特有の鋭い金色の瞳に見据えられ、ユウはどことなく睨まれているような気さえした。
「イーサ、この人を傷つけてはダメよ!」
 強い調子で叱るリリィに、イーサはしばらくユウの正面に滞空していたかと思うと、
くるりと方向を変えて部屋の奥にある止まり木に優雅に着地した。
「いてて……あの鷹、リリィが飼ってるのかぁ?」
「は、はい。あの子はイーサといいます。いつもは私を守ってくれるんですけど……」
「……それじゃ俺は悪者かよ」
 ユウは半眼になって呻く。一方、リリィは戸惑いを隠せない様子だ。
「で、でも最初に森でユウさんを見つけたのはイーサだったんです。どうしたのかしら?」
「さあな……と、とりあえず中に入ろうぜ」
 玄関先に突っ立っているのもなんだ、と二人も部屋に入ってドアを閉めると、
リリィはランプに火をつける。
 薄暗くなっていた部屋の中が、オレンジ色に染まった。
「じゃあ、私夕飯の支度してきますね。
 下準備はしてありますので、すぐに出来ますから」
 そう言って、リリィは奥の部屋へ行ってしまった。
 部屋に残されたユウは少々びくつきながら、止まり木のそばに近づいていくと
主のごとき気高さを持つ白い鷹を見つめた。
 互いを見詰め合うことしばし。
(……睨んでる……メッチャ睨んでるぞ、オイ)
 猛禽類特有の鋭い金色の瞳は、それにしても異様なプレッシャーをもってユウの方を
見つめ──もとい、睨み返している。
 リリィいわく、最初に自分を見つけたのはこの鷹だというが……その割には、
自分は余程この鷹に嫌われているらしい、ということはユウにも分かった。
「……なんだかなあ……俺、なんかしたか?」
 さっぱり嫌われる理由には思い当たらず、ユウはぼそっとイーサに尋ねる。
 ──勿論、答えが返ってくるはずもなく、イーサはユウから顔を逸らしただけだった。
(こ、こいつ……憎ったらしい鷹だな……)
 その反応に多少むかつきながらも、ユウは乱暴に椅子に座った。
 そして、ちらっと折れた自分の左腕を見下ろす。
(これぐらいのケガなら……ま、なんとかなるか)
 ──左腕なしで、というのは正直キツイがあまり悠長なことは言っていられないだろう。
 窓から宵闇とともに訪れる星の瞬きを見上げながら、ユウはあることを心に決めていた。


「はぁ~、食った食った♪」
 いかにも満足そうな笑顔でユウはぽんぽんと自分のお腹を叩いた。
「良かった。お口に合わなかったらどうしようと思ってたんですよ」
 すでに空になっている食器を片付けながら、リリィも嬉しそうにくすっと笑った。
「口に合わないなんて、とんでもない! ホンットに美味かったぜぇ。ごちそうさま」
「いえ、お粗末さまでした」
 ユウの心からの賛辞にリリィははにかむように少し顔を赤くしつつ、食後のお茶を
ユウと自分の前に置いた。
「そういえば、ユウさんはいつまでここに滞在されるんですか?」
 片づけを終えて自らもユウと向かい合うように椅子に座ると、リリィはユウに尋ねた。
 その問いに一瞬、ユウの手が止まるが、次の瞬間にはなにごともなかったかのように
ユウはティーカップを手にする。
「ん~……ゆっくりしていきたいのは山々だけど、あんまり世話になるのも悪いしな。
 明日には、たとうと思ってる」
「えっ……!?」
 唐突といえば唐突なユウの答えに、リリィはさすがに驚きを隠せなかった。
「そんな、まだケガも治っていないのに……」
「それもそうなんだけどな。でも、旅を続ける分には大して支障はねえし……。
 それに──実は森で連れとはぐれちまったんだ。あっちも俺を探してるだろうし」
「そう、だったんですか……」
 見るからに落胆の表情を浮かべるリリィに、ユウは少なからず罪悪感を感じながらも
つとめて明るい口調で続けた。
「悪いな。世話になっといて、慌しくなっちまって。
 でも、いつか必ずまたここに来る。そん時は、もっと色々な話聞かせてやるよ。
 だから……また、美味い飯食わせてくれな♪」
「……はい。喜んで!」
 にっと笑って言うユウに、リリィも沈んでいた表情を明るい笑顔に変えた。
 ──昼に見た、あの花のほころぶような可憐な笑顔に。
 それを見てまた朱が差した顔を隠すように、ユウはくいっとお茶を一気に飲み干すと
ぱっと立ち上がる。
「よし、約束な! ──さて、飯も食ったことだし。
 ちょっと早いけど、明日の出発に備えて今日はもう寝るな!」
「分かりました。ユウさんは、そちらのベッドを使ってください。
 私は隣の部屋にいますから、何かあったら呼んでくださいね。
 もし傷が痛み出したり、熱が出てきたら痛み止めと熱冷ましもありますから」
「おう、サンキュ」
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ──」
 ティーセットをトレイにのせて隣の部屋に行くリリィにそう声をかけ──
 途中で、ユウは重大なことに気付く。
 この部屋には。もう「一人」先客がいたことに。

 パッタン

「…………」
 その事実に気付いて固まるユウの前で、無情にも隣の部屋への扉は閉じてしまった。
 ……どうやらその「先客」はリリィに対しては従順そのものだが、部屋から彼女が
いなくなってしまえば話は別らしく。
 背後からちくちくと刺さる視線に、ユウは内心涙を呑んだ。
(…………今日、寝れるかな……俺……)

 ──結局、ユウが寝付けたのは大分時間が経ってからのことだった。

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遠きまだ見ぬ空の歌(前編) - 氷雨 2006/11/27(Mon) 15:08 No.31


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